焼うどん研究所とは?

研究所とは?

北九州のお馴染み新名物『焼きうどん』! 北九州から発祥した文化は実は沢山あります。

例えばパンチパーマ、KEIRIN、商店街アーケードなんかがそう。

2001年の北九州博覧祭会場になった八幡東区東田地区は、約100年前の1901年に日本最初の近代高炉が建てられたまさしく日本近代産業発祥の地でもありました。

実は、「焼うどん」も北九州の小倉が発祥地とされています。

終戦直後、鳥町食道街の「だるま堂」店主が、焼そば用のそば玉がなかったため、干しうどんをゆがき焼いて出したところ大好評だったのが始まりとされています。

私がホテルマンだった時に、遠方から来られたビジネスマンに、北九州らしい食べ物のことを聞かれることがあったのですが、合馬のたけのこや小倉牛など、どれも、ちょっと食べようと言うには高級だし、お店も限られるといった事で、なかなか、気軽に紹介できないでいました。

北九州に宿泊した方が、北九州らしさを味わいたいと言われたときに、何か勧められる物を作りたいというのが始まりでした。

「そういえば、『焼うどん』発祥の地の名は小倉だった!」と気付いたのですが、現実的にはそんなに知られていない。

せっかくそんなストーリーをもった観光資源があるのだから、「焼うどんのイベントをしよう!」 と、私も所属しているまちづくり団体の“北九州青年みらい塾”で『焼うどん研究所』を立ち上げて、イベントや広報をすることにしました。

以来、イベントやさまざまな活動を通して日夜奔走中です。


地域密着WEBマガジンキタキュートより http://www.kitacute.net/

研究員を募集中です

〝食を通しての町おこしをしたい〟という想いから生まれた小倉焼うどん研究所!!

この「焼うどん」という北九州の大いなる食文化を学び、それを活かし、そしてあなたの手でその美味しさを味わってもらい、次世代に伝えていきませんか?

焼うどんが好きな方!出展イベントなどに興味がある方など、未経験でも大丈夫。丁寧に教えます!!

研究員になると…

1. 全国各地を飛び回れる!!

2.美味しい焼うどんが作れる!!

3.人脈が増える!!

4.友達に自慢できる!!

5.ちょっとかっこいい!!

視察受け入れについて

当研究所では、いつでも講演・視察受入・体験学習・取材等を受け付けております。

まちづくりのヒント、地域ブランドの確立のヒント、成功談、失敗談、苦労話、ウハウハな話…などなど、これまでの研究結果を惜しみなく開示いたします。

お気軽にお問い合わせ下さい。

小倉焼うどん研究所 連絡先:TEL 090-9492-4913(事務局)

視察をご希望される団体の方は下記の応募フォームからお問い合わせください。

イメージキャラクター

だるまちゃんは、小倉焼うどん研究所の

イメージキャラクターです!


名前:だるまちゃん

夢:研究所のみんなと全国周りのイベント

希望:会場に来ていただくみんなの笑顔

ミッション:焼うどんを日本の主食にする。

小倉焼きうどんの誕生秘話

北九州は小倉で誕生した焼うどん。その歴史は終戦直後の昭和20年に遡る。

焼そばを作ろうにも、時代は食糧難のピークであり、当時の小倉では肝心のそば玉が手に入りにくい状態だった。

やむなく干しうどんを代用して試作されたのが焼うどんであり、小倉発祥の起源となった。その店こそが小倉北区魚町にある「だるま堂」とされている。

現在ではごく一般的な家内食となっている焼うどんだが、元祖のそれが一線を画す所以は干しうどん、つまり乾麺を使用する点にある。茹で置きが出来ない分、調理に手間暇がかかってしまう。

だが、焼き目がしっかりと付いた、もっちりとした食感を通常の茹で麺で実現することは不可能。その秘められた“素材力”に着目し、現在さまざまなイベントを手掛けているのが「小倉焼うどん研究所」であり、小倉発祥説が一般レベルで認知される礎を築いたのである。

店主インタビュー

だるま食堂2代目店主
坂田チヨノさん

味を継承するのはもちろん、ずっと大切にしていることがあるという坂田さん。

「真心込めて焼くこと。お客様が残された時には“まだ真心が足りなかった”と反省しています。

あと、野菜を作る人がいて、それを運ぶ人がいて、はじめて作ることが出来る。感謝を忘れないようにしています」。

焼うどんが小倉発祥の名物としてクローズアップされる中、坂田さんの心境は?

「素晴らしいことだと思いますが、それぞれの好みがあるでしょうから、自分の口に合うものを見つけて欲しいですね」。